ソフトウェアの公開とライセンスに関して議論をする場があったので、気づいたことや感じたことを書いておきます。
例えば Linux 用の一般的な(glibcを動的にリンクしている=LGPLが適用される)実行バイナリを、登録者だけが利用できるように、ダウンロードサイトにパスワード保護をかけたり、ZIPファイルにパスワード暗号化をかけたりすることは、LGPLに違反する恐れがあるそうです。
だとすると過去にGalatea Toolkitを配付した際にも不適切な状況があったかも知れません。。
大学、研究機関、研究グループなどが配付するツールやスクリプトには、再配布が禁止されているものがあります。
私の関わる分野で有名なのはHTKですが、この配布形態についてはあまり不満が聞かれません。
強いていえばHTKの派生ソフトウェアであるHTSがHTKへのパッチとして配付されていることが、利用者にとって多少不便かもしれないこと、くらいでしょうか。。。
同じく私の関わるプロジェクトに関していえば、音声合成エンジンGalateaTalkが使用しているunidicという日本語辞書が、登録されたユーザに対しての利用を許諾しています。
これについては(なぜか私に)たびたび不満を伝えてくださる方が多いです。
けっきょく名工大のグループはunidicに依存しない日本語音声合成エンジンopen_jtalkを開発してしまいました。
ユーザを登録して把握することで、サポートやサービスを充実させやすい、という意見があります。
たしかにHTKもUnidicも登録したメールアドレス宛に「アップデートのお知らせ」みたいなメールが届きます。
とはいえ、いまや多くのメールを受け取ることが迷惑になりつつあるのも事実ですが。。
公開方法やライセンスは「配付する側」と「利用する側」の双方のモチベーションに影響を与えています。
ユーザ登録のフォームが一つ出てくるだけで「やだなあ」と思う人もいる反面、「GPLに汚染されること」を極度に嫌う立場もあります。
配付する側が気持ちよく開発を続けることができて、利用する側が気持ちよく利用できるかどうか、です。コンテンツによって事情は違うでしょうが。。
いまや一つのモジュールだけが単独で役に立つような場面は滅多にありません。
膨大な数のモジュールから構成される「システム」としての使い勝手の良さは、ライセンスの正しさに支えられている、と感じます。
Ruby on Rails フレームワークを拡張する膨大な gem パッケージ群がほとんど MIT ライセンスで公開されていて、gem install コマンド一発で入手できることの心地よさ。それは初めてrailscasts.comを見たときの私の衝撃でした。
そして Ubuntu Linux の膨大な deb パッケージ群そのものも、ライセンスに支えられた心地よさと言えるかも知れません。
どちらも「不満があれば別の選択肢があるし、選択肢がなければ自分で作ればよい」(派生物の作成も再配布も許可されている)というのが「最後の最後に残された希望」です。
この希望がなければ、運の悪いプロジェクトと心中しなければなりません。
「お金を払ってサポートを受けられる製品」
「派生物の作成も再配布も許可されているフリーソフト」
そのどちらでもないものは「将来にわたって安心して使っていいかどうか分からない」という不安をぬぐうことはできません。
(お金を払って受けるサポートでさえ安心できないものはたくさんあるけど。。)
この不安をぬぐうためには相当の覚悟を決めてコミュニティの活性化に取り組む必要があります。
(私はGalatea Projectにおいて、その努力を十分にできなかったことを反省しています)
HTKにも不満の声はきかれない、と書いてはみたものの、HTKとUnidicに対して私が共通に感じることは「開発チームの都合にユーザが振り回されているのではないか」という疑問です。
HTKのチームは精力的に開発を続けているようですが、どうも最近の機能拡張は迷走気味のように思えます。もはや流行がFSTベースのデコーダに映りつつあって、HMM系のツールは重箱の隅をつつくしかないのでしょうか。。
そしてUnidicは「自然言語処理の研究者が正しいと思っている方向性」に進んでいることは理解できるのですが、その方向性がどっちなのかしばしば分かりづらい、というのが私の印象です。音声合成エンジンの読み付与の性能を上げたいと思っていても、ただのunidicユーザには、自分たちの要求仕様について発言をする場が与えられない、そんなふうに思えます。
Galatea Projectがソフトウェアの配付をsourceforge.jpに移した理由は「登録ユーザの情報を活用することが難しい」ことと「登録ユーザの情報を安全に管理する責任を負うのが困難である」ということだったと思います。
私にとっては登録ユーザ向けの配付をsourceforge.jpに移したことはあまり大きな出来事ではなく、むしろ開発の母体であった「会員制コンソーシアム」の活動が2009年春に終了して、本当にコミュニティベースの開発体制になったことのほうが意味がある、そんな風に感じました。
しかしあらためてこの1年を振り返ると、もはやヒューマンインターフェース技術の主役はFlashだったりiPhone/iPadだったりAndroidだったりします。
もっと早い時期からオープンに活動できていれば、Galatea Projectにもまた別の可能性があったのでは、と思います。