治す人と壊す人

今年の8月から Windows Vista を使うようになり、不満ばかりを感じていたのですが、自分が素直なユーザだったかと言われると、そうではなかったように思います。

確かに「Vistaに未対応」という手持ちのアプリケーションをいくつもインストールしては「うまく動く」「ちょっと画面が崩れる」など試行錯誤を続けていたのも事実です。

たぶん Vista の Microsoft Update は私のような試行錯誤的な使い方を想定していないので、だんだん挙動がおかしくなっていったのでしょう。

仕組みがある程度分かっていれば「マニュアルに書いてないけど、この使い方はできるだろう」といった予想ができるようになります。コンピュータに慣れていない人はそれができないから、何をするにもまずマニュアルを探そうとして、欲しい情報を見つけることができなくて戸惑うわけです。

しかし最近「熟練者の罠」とでも呼ぶべき状況を頻繁に感じるようになりました。

つまり「いままで使ってきたシステムではこうだったから、新しいシステムもこうだろう」という思い込みが原因で、不適切な判断につながる場合がある、と気づいたわけです。

先日のプリンタのトラブルも「マニュアルに書かれていないことをどう判断するか」で私が経験に頼ったことも一因のように思います。

最近は Linux をいじっていても経験を過信したことが裏目に出てヒヤリとすることがあります。

おそらく「日々ちょっとずつ変化する技術」を積み重ねていくうちに、気づいたら大きな「不連続な変化」になっていくのでしょう。

それに気づかず「ちょっとしか変化していないはずだから、自分の経験で使いこなせるはずだ」という思い込みをしてしまうのだと思います。

続編ではない方の映画「三丁目の夕日」には、故障したテレビを修理しようとするエピソードが出てきますが、私は最近うっかり「あれ」にならないように自制することが多くなりました。

人はこうして「新しいものを学習する能力の衰え」を自覚していくのでしょうか。だとすれば身につけていくべきは「もっと別の能力」です。そう、時間をおいて頭を冷やすとか、適切な相手に連絡したり相談したり任せたりするとか。。

そして今回のService Pack 1のように「泥沼をリセットしてくれるパラダイムシフト」を見極めていく必要もありそうです。