2009年の最後に起きた「「何かが欠けている音声認識研究」についての話。」事件について書いておきたい。
私も彼と同じ場にいて、この講演をTwitter中継していた。
彼が書きかけたという記事を公開して欲しいとお願いして、結果的に公開してもらえて、分野を超えた大きな問題提起になりつつある。良かったと思っている。
研究成果を(論文に加えて)ブログで発信することには賛成だ。もしも自分の仕事が納税者に支えられていると思うなら、特に積極的に「自分の研究分野について幅広い立場の人に理解してもらう」努力をしてはいかがだろうか。そういう時代になってきたことを私は昨年の政権交代を機に強く感じた。
さらに、これからは研究についてのディスカッションも、ブログやTwitterで加速するかも知れない。
ところで「他分野の人か、博士課程に進学しない修士の学生」に音声認識研究のブレークスルーを期待するとしたら、そんな立場の人達のためにできることが何かあるだろうか、とふと考え始めた(もし私のような者でも力になれることがあればお知らせください。相談に乗ります)。。
いずれにせよ、私は「研究のタコツボ化」の現状認識には同意できるものの、その状況に対して、それほど悲観的ではない。
むしろ、処世術として「成果が出やすい(楽しくない)研究」と「成果が出にくい(楽しい)研究」の両立が必要ではなかろうか。
(ちゃんと両立できてない自分が偉そうに言うのは気がひけるが)
そう思えるのは、次のような記事を思い出したからだ。
電子情報通信学会の学会誌に同封されて届く「情報・システムソサイエティ誌 Vol.11 No.4」(たぶん2007年2月ごろ)に、今年の3月まで私と同じ学科におられた杉原厚吉先生が、研究生活の心得として、こんなことを書かれていた。
(1)大きな目標
(2)安心のための並列処理
* 真に挑戦したい大目標のテーマと、時間に比例して成果が出るテーマを並行して
* 行き詰まったときの息抜きにアタックできる楽しい小テーマ
* リスク分散
* 長期にわたって成果が出ないかも知れない危険を回避する:精神衛生
(3)幹に近いテーマ
* 小さな努力で解決しても社会に重要な影響を与えるもの
(4)成果にけじめを
* 自分の研究に締切を与える
(5)成果の位置づけを大切に
* その課題がいかに重要であるか
* それを解決したことによって何がどう嬉しいか
* 自分の研究の意義を社会の中で位置づける
* 自分がやったことを抽象化し、新概念として提唱
* 自分の成果に対して適切なネーミングを考える
* 自分の成果を少し離れた立場から位置づける努力
* テーマの選び方を反省し、次のテーマ選びにつなげる
以上、私のメモしか残っていないので、私の解釈に基づく紹介になってしまうが、例えば杉原厚吉 – Wikipedia を見ると、「だまし絵の世界」から「理科系の論文作法」まで。。。やはり「上手に研究生活を楽しんでこられたのだなあ」と思わざるを得ない。
「時間に比例して成果が出るテーマ」をどのくらいのエフォートでこなすのか。これが少ないエフォートで回せるようになりたい。そのために有効なのがオープンソースソフトウェア。そしてテーマ探しに貢献するのがアクセシビリティ。私にはやはり「音声技術におけるブレークスルー」のための戦略は「オープンソースとアクセシビリティ」しか考えられない。。。。
自分にとってはもうひとつ「フロー理論」をいかに人生のツールとして活用するか。それが当面の課題だ。例えば「長期にわたって成果が出ないかも知れない危険を回避する」というポイントはフロー理論的に重要に思える。
(そしてこれも堂々と言える立場ではないので気がひけるのだが。。)
「個人」が「情報を発信する」ことで「楽しく」生きることができる。20年前にまったく当たり前ではなかったことが、いま、当たり前になりつつある。そのことに、やはり、ワクワクする。
今年もよろしくお願いします。