システムの成功と終焉

バージョン 3.1 のころから Windows を(Windows だけを、ではありませんが)使い続けているのですが、いま Windows Vista の自動更新がハードディスクをクラッシュさせてしまった「かも知れない」という事態に自分自身が遭遇して、あらためて思いました。

成功してしまったシステムを成功裏に「次のステップ」に導くのはかなりの困難だろう、と。

新しいバージョンをリリースするにあたっても、自動更新でパッチをリリースするにしても、既存のシステムからのアップグレードが問題なく実行できるようにインストーラーのシナリオを作り、検証を行う必要があるわけです。ユーザが使っているハードウェア構成とソフトウェア構成の組み合わせは膨大なものとなっており、あらゆる場所に「失敗」のリスクが潜んでいるわけです。

それはすべて、Windows XP が成功して、多くの対応ハードウェア、多くの対応周辺機器、多くの対応アプリケーションが世に出回ってしまったからこそ、起こった事態だと思うのです。

いま Windows が置かれた状況はなんだか MS-DOS 3.1 が PC-9801 シリーズの上で圧倒的なシェアを誇っていた「16ビットパソコン全盛時代」を思い出させます。

ありとあらゆるハードとソフトがその上で使えるようになり、ユーザもありとあらゆるノウハウを蓄積しましたが、やがて全ては「DOS から Windows への世代交代」とともに駆逐されていったのです。

そう考えると、Windows XP を成功させたソフトウェア会社が作るべきだった次世代OSは「Windows とは全く違う新しい何か」ではないか、という気がしてきます。

むかし学生の頃、社会科学部の講義を聴講して、こんな話を聞きました。

マルクス経済学やケインズ経済学など、正しい社会科学的理論は、その理論が正しかったがゆえに、社会に大きな影響を与えてしまい、その理論が成り立たないような社会を作ってしまうのだ、と。

同じように Windows XP はそれまでのバージョンアップの積み重ねの成果によって、あまりにも成功してしまった。成功したがゆえに「これ以上はどうバージョンアップしても破綻するしかない」というところまで来てしまったのかも知れない、と。。