谷中と「まちづくり」

愛知県瀬戸市のコミュニティFM放送局 RADIO SANQ の「まちづくりMYフレンド」というコーナーで、東京・谷中が取り上げられることになり、「谷中でまちづくりに取り組む人」ということで、ゲストに呼んでいただきました。
まず、コーディネーターの名古屋学院大学の古池嘉和先生に案内していただいて、名鉄瀬戸駅の近くの商店街で、若い人たちが思い思いに新しいお店を開き始めた、そんな現状を見せていただきました。そして、古池先生とパーソナリティの鈴木しほさんに、上手に質問をしていただきながら1時間近く喋りました。
同時録音を書き起こして、お二人の質問やコメントも含めて1人称の記述に改めてみました。放送のあとでスタッフの方に「それぞれの場面でいろいろ考えて、その都度ごとに『答え』を出しながらやってきた、そんなことが分かる話だった」と言われました。自分の出してきた『答え』は谷中に始まったことではなく、1999年から数年の京都・吉田山『茂庵』での経験が、いまに繋がっているのだ、と改めて感じています。

追記(2009年12月19日):アプローチ谷中プロジェクトの活動記録はこちらをどうぞ

谷中とはどんな街なのか?

「谷」の「中」と書いて「やなか」と読みます。東京に「谷中」という駅はありません。私が東京に最初に住んでいた時は、こんな街があることを知りませんでした。京都に住むようになって、たまたま東京を訪れたときに、「東京にもこんな京都のような街があるのか」と興味を持ちました。そして、京都から谷中に遊びに来るようになり、2002年の秋に東京に移って谷中に住みはじめました。

山手線の最寄り駅は日暮里になります。上野・鶯谷・日暮里・西日暮里と駅が続いています。

谷中は、京都から来るととても違和感のない場所です。江戸の雰囲気が残っている、とよく言われます。谷中と京都のわかりやすい共通点は、お寺が多いことです。お墓もそのまわりにたくさんあります。高い建物が少なくて、狭い道が多いのです。お寺ばかりだから道路や建物が再開発されにくいのでしょう。谷中霊園という広い墓地が日暮里駅のすぐ近くにあります。谷中のイメージがわいてきたでしょうか?

そんな谷中は、住みやすい街と言えるでしょうか?谷中からは銀座や東京駅など、東京の中心部に簡単に行くことができます。にもかかわらず、自然に囲まれた雰囲気があり、のんびり近所でご飯を食べたりお散歩をしたりできる、住みやすい場所だと思います。驚くほど都心に近いのに、驚くほど田舎っぽい、そんな場所なのです。

自分が好きなものを伝える

まちづくりに取り組んでいる人、として紹介していただいたのですが、私の本当の仕事は情報技術にかかわる研究です。人間と機械が声で対話をするための音声認識、音声合成、音声対話などの研究、視覚障害のある方がインターネットを利用するための支援技術の研究などをしています。

音声対話の研究者は「何かを案内するシステム」をテーマに選ぶことが多いのです。例えば京都の研究者は京都の観光案内を音声で行える音声対話システムを作って研究やデモンストレーションを行います。だから私も観光案内システムにはずっと興味はありました。でもいつの間にか、単に研究のためのシステムではなく、自分が楽しめることをやってしまっているのです。

2004年には「谷中標本」というテーマで、谷中の街をゲーム感覚で楽しみながら歩くことができて、情報技術もこっそり使っている、そんなイベントを行いました。2006年には「ラジオアジマール」というタイトルで、谷中のお友達みんなに喋ってもらうインターネットラジオのイベントを行いました。

「メッセージはマッサージ」と言われますが、情報をほぐして面白く伝える工夫をしています。一方的な情報の伝達ではなくヒューマンな伝え方を心がけています。自分が好きで入れ込んでいるものしか、自信を持って伝えることができない、と思うのです。雑誌やガイドブックに載っている「おすすめのお店」などは、心がこもっていなくても書けてしまいます。でも、自分が本当に好きなお店や気に入っている場所について「私は本当に好きだから、あなたも来てほしい」と伝えることに、説得力があると思うのです。誰もが、ついそういう話をしたくなる、欲求を持っているのです。

ギャラリーと銭湯

谷中は、いくつかのJRや地下鉄の駅に囲まれて、そんなに広くはない地域なのですが、たくさんの小さな道があります。坂もたくさんあり、いろんな名前が付けられています。「アートリンク上野・谷中」というアートイベントの地図をみていただくと、小さいけれど個性的なギャラリーがたくさんあることが分かります。例えば「スカイ・ザ・バスハウス」は銭湯だった建物を改装してギャラリーにしたスペースです。地域雑誌「谷中・根津・千駄木」85号は「はとちゃん」の描いた銭湯の絵が表紙になっていますが、この絵のモデルはスカイ・ザ・バスハウスだと思います。「千と千尋の神隠し」に出てきそうな銭湯ですね。立派な瓦屋根の銭湯は関東ならではのものだそうです。

話が脱線しますが、谷中の人々は銭湯が好きなようです。古い建物が多く残っているので、風呂無しのアパートもたくさんあり、そういう部屋に住んでいる人が銭湯に通って、大きな湯船を満喫しています。そして、内風呂がある家の人も、「ビールを飲みに行く前にちょっと一風呂は銭湯がいい」といった感じで銭湯を楽しんでいます。社交場のような役割もあります。銭湯のコインランドリーで洗濯が終わるのを待っているあいだに、近くのカフェでお茶をする、といった交流もあります。銭湯は減ってはいますが、まだたくさんあり、菖蒲湯やゆず湯など、季節ごとのイベントもありますし、足マッサージなどもあります。昔の建物を生かして現代風に使う、という試みが谷中で多く見られます。東京芸術大学や東京大学がすぐ近くにあるので、大学関係の方や、芸術家、アート関係の方が多く住んでいます。出版などメディアに関わる仕事をしている人も多いです。

歴史のあるものの価値を理解して尊重する人、「何かをしたい」という気持ちを持つ人、情報発信をしたい人が多い場所だと思います。

20年ほど前には谷中は「ギャラリーの多い街」ではなかったかも知れません。私が住んでいるこの5年くらいのあいだに、若い人が古い民家などの建物を利用して、昔の建物の雰囲気を生かしてギャラリースペースを開く、といったケースが増えてきたように思います。

古いものをアレンジして若い人が取り組んでいく、ということは、全国的に最近注目されている傾向のようです。

猫の多い街

谷中には猫がたくさんいます。「谷中銀座」というノスタルジックな商店街があるのですが、この商店街のはずれにクルマが通れない石段があり、「夕焼けだんだん」という名前が付いています。名前の通りこの石段の上から見る夕焼けはとてもきれいなのですが、その階段の脇には空き地があり、猫がたくさんいるのです。多くの人がその猫をかわいがったり、写真を撮ったりしています。

その他の場所でも、谷中はちょっと路地を入ると猫がたくさんいます。猫がのんびり安心して暮らせる場所は、とても穏やかな場所と言えるでしょう。時間がゆったりと過ぎていく街です。道が狭くて坂が多いから、クルマが少なくて、猫が安心して暮らせるのでしょう。「坂」と「猫」と「お寺」がパックになって、非日常的な空間を作り出しています。猫をテーマにした雑貨屋さんやギャラリーもあり、道ばたで猫に会える場所などをまとめた「ねこマップ」も作られています。散歩をしていて猫を追いかけて細い路地に入ってお店を発見した、といった話も聞かれます。猫に導かれるように、その人しか知らない隠れ家のようなお店もたくさんあるのです。

私が関わっている「アプローチ谷中プロジェクト」では、2005年から谷中の「お店紹介ビデオ」を作って、お店に来るお客さんに見てもらっています。自分たちが気に入っているお店だけを、自分たちの映像作品として作る、というのがコンセプトになっています。

自分たちにできること

私がやっている活動は「まちづくりに尽力している」というよりも「遊んでいる」「楽しんでいる」という感じです。楽しんでやれる、ということは重要なポイントです。「まちづくりをやらなきゃいけない」と考えているのではなく、「思い入れのある街で何かをやってみたい」という気持ちから、仲間とのコラボレーションが実現し、次の活動に繋がっていく、という繰り返しになっています。

私が最初に「アプローチ谷中プロジェクト」を始めたときには、若いカフェのカフェのオーナーに「若い人が年中谷中に来てくれるための情報技術を考えて欲しい」と言われたのです。私が谷中に住み始めた2002年ごろ、谷中はすでに年配の方の散策スポットとして注目されていました。全生庵の円朝まつり、大円寺の菊まつりなど、歴史や文化にゆかりのあるイベントがいくつか行われていました。しかし、若い人が興味を持ってくれる場所ではなかったのです。
お店の人にとっては、自分の店に絶えず人が来てくれるためにはどうしたらよいか、というのは切実な問題です。そしてそれを「自分の店の問題」ではなく「まち全体の問題」として考えるのは素晴らしいことだと思います。
でも、私は直接お店に関わっている立場ではありません。あくまでボランティアで関わっているのです。お店の人のニーズを理解してあげた上で、自分に何ができるのか、自分が楽しんでやれるのはどんなことなのか、と考えています。その中で、「自分が楽しんでやれること」でもあり、「誰かの役に立ったと思ってもらえること」を探しています。

若い人のネットワークと「谷中標本」

2004年に「アプローチ谷中プロジェクト」を始めたときには、若い人が開いたお店が少しずつできてきましたが、まだお店同士が知り合いではないなど、横のつながりが少ない、という状況でした。20年も30年もお店を続けながら谷中を盛り上げてきた人たち、地元の歴史や文化を調べたり伝えたりする努力を続けてきた人たちはいらっしゃったのですが、その下の世代とはコミュニティが乖離していました。新しくできたお店同士のネットワークが作れたらいいね、といったことも考えながら、自分たちのプロジェクトをスタートしました。

それからこの2~3年で急に若い人のネットワークが充実してきました。今では、カフェなどのお店に行くと、みんな顔見知りの仲間です。新しいお客さんもどんどん仲間になっていきます。私は最初、ギャラリーやアートの関係の方を紹介していただいて、「情報技術を使って何ができるか」をテーマに考え始めましたが、何か「お祭り的な、みんなの興味を引く要素」が欲しい、そして、谷中をどう伝えたらいいかを考えるために、もっと谷中を理解しなくてはいけない、谷中を再発見していきたい、ということになりました。そこで、劇作家やダンサーの方々の協力を得ました。

最初はワークショップを行いました。初めて谷中に来た人に、谷中の説明をして、谷中でどんなものや風景を見たいか、という質問をしました。参加者同士で話し合って、どこを歩くかを決めました。その後、谷中を実際に歩いてもらうのですが、行った先でダンサーの人に「その場の雰囲気を踊りにする」というテーマでダンスをしてもらったのです。その様子をビデオで撮影し、後の展示などで利用しました。

それぞれの場所には歴史や文化的な背景があります。この広場にはもともとお屋敷があったとか、この場所にかつて芸術家や文豪が住んでいたとか、そんな具合にです。しかし、そのような知識は、もう誰かがまとめて、文章にしたりデータベース化しているのです。我々の活動では、そのような知識を踏まえて、「いまこの空間をどのように捉えるか、どう楽しめるか」「いまこの空間で何を再発見するか」が大事だと思ったのです。

秋に行ったイベントでは、カフェの2階に大きな地図を展示しました。その地図には、いくつかの散策ルートが描かれていますが、どこに何があるか、といった情報どころか、道路すら描かれていません。ただ真っ白い地図に散策ルートを「足跡」として書き表したのです。ダンサーの人が使う「舞踊譜」という手法を、散策ルートの表現に使ったのでした。

その地図には仕掛けがあり、小さな機械を近づけると、ある決められた場所で反応して、散策ルートのテーマに沿った画像や音声が出てくるようにしました。地図の裏側に十数個のICタグを貼り付けて、大きな白い地図の中から隠れた情報を探し出す「宝探しゲーム」ができるようにしたのです。その地図で楽しんでいただいた後に、実際に散策ルートを歩いてもらいます。そのゴールにはダンサーさんがいて踊っているのです。

宝探しと散策とアートをくっつけたイベントです。谷中は坂が多く細い道が多いので、そういうイベントに向いた空間だったと言えるでしょう。

地図はやはり「舞踊譜」になっているので、歩数だけが分かるようになっています。歩数を数えながら歩かないと、正しくゴールにたどり着くことができません。そのことが、日常の地図を使った町歩きとは違って、「何歩目で立ち止まったら細い路地を見つけた」というような新しい発見を促していたと思います。

2次元バーコードやICタグは、最近あちこちの「まちおこしイベント」で使われるようになっていますが、ただ技術を使うだけでは、なかなか面白くならないでしょう。

「港町」としての谷中

谷中には外国の人が増えたり、若い人がギャラリーを始めたり、ストックからフローへと街が変わってきています。昔から住んでいる人には「そっとしておいて欲しい」という方も多いのだと思います。京都と違って谷中のお寺は観光客をお招きするお寺ではないので、観光客の方にあまり騒がしくしてもらうと困る、という話も聞きます。一方で、昔ながらの商店街を続けていけないと、古くて雰囲気のある建物をそのままでは残していけず、マンションにしなくてはなりません。だから商売が回っていくための工夫が必要だ、と考えている方もいるでしょう。

大学の都合で移り住んでくる若い人はたくさんいます。最近の和風ブームで谷中遊びに来て気に入ったという人もいます。また、日暮里は成田空港から京成線で東京に入ってくる入口なので、外国からやってきた人が初めて来た街が谷中、ということもあるでしょう。場所は和風ですが、異国情緒もある街なのです。港町のように「人の出入りの激しい」場所なのです。そんな「外から来た人たち」がこの街の面白さを知って、何か新しいことを持ち込みつつ「ここで何かをしたい」と思うのでしょう。やがて谷中を離れて行く人も、この街を懐かしがってくれると思います。外から人が来ないと続けていけないものがあるはずです。観光客へのおもてなしは、いろいろな街でこれから重要になるでしょう。

「谷中・根津・千駄木」とその境界線

谷中という街は、単独で語られることよりも、周囲の街と合わせて語られることが多い場所です。よく「谷根千」と言われます。これは「谷中・根津・千駄木」の頭文字ですが、この隣り合う3つの街がくっついて、ある雰囲気を持ったエリアとして捉えられています。谷根千の一帯をカバーする地図がたくさん作られています。電車の駅でいえば、JR日暮里駅だけでなく、地下鉄の千代田線の根津駅・千駄木駅・西日暮里駅などに囲まれています。谷中の街は上野公園とも隣り合わせです。谷中は上野駅からも歩いていけるエリアなのです。動物園のパンダも谷根千の一部と言えるでしょう。

秋に行われる「アートリンク上野・谷中」というイベントがあります。上野には国立博物館や東京都美術館など、公的な文化施設がたくさんあります。そして谷中には個人の運営するギャラリーや小さな美術館がたくさんあります。これらがお互いに連携して刺激し合って活動しているのです。

「谷根千」は3つの区の境界にまたがるエリアです。谷中は台東区ですが、根津と千駄木は文京区、日暮里は荒川区になります。3つの区の境界を探してわざわざ歩くのは、なかなか楽しい散策コースです。クルマの通れないような細い路地の両側にそれぞれ「台東区」「荒川区」と書かれていたりするのです。

1つのエリアがいくつもの区に分かれていることは、行政の「まちづくり」への関わりを難しくしているのでしょうか?まず、行政よりも前に、地域のNPOや町会・商店街の方々が、まちづくりの方向性を強く打ち出しているように思います。それぞれのコミュニティの方々が方向性を決めています。森まゆみさんなどが20年以上も続けておられる地域雑誌「谷中・根津・千駄木」も、この地域の情報をずっと蓄積する役割を果たしていて、その上に新しい活動が成り立っているのです。

台東区と文京区の境界は、神社の氏子の境界と対応しています。文京区の根津・千駄木の人は根津神社、台東区の谷中や荒川区の日暮里の人は諏訪神社の氏子です。みんな神社のお祭りを積極的に盛り上げます。夏から秋にかけて、まず諏訪神社のお祭りがあり、谷中の町会ごとに御神輿や盆踊りの準備を熱心にしています。数週間後に根津神社のお祭りがあり、今度は根津や千駄木の人たちが、競い合うように熱心に盛り上がるのです。

台東区には23区の中で唯一「観光課」があると聞いています。観光について台東区は地域の方の活動を支えているようです。秋になると「アートリンク上野・谷中」「谷中芸工展」といったアートイベントを地域のNPOなどが開催します。その時期には町会などが主催する大円寺の「菊まつり」などのイベントもあります。そして同じ日程で台東区の「谷中まつり」が開催されるのです。地域のコミュニティと行政が協力して「この時期に谷中に来ればとにかくいろんなことが起きている」という賑わいを醸し出しています。夏目漱石の「三四郎」で描かれたように、明治から大正にかけて谷中から千駄木へと続く道には植木屋がたくさんあり、秋には菊人形の見物で人がにぎわったのだそうです。その菊人形の賑わいを現代に再現したい、ということから大円寺の菊まつりを始められた寿司屋の「乃池」さんは、谷中のまちおこしの草分け的な活動家として知られています。私が乃池の御主人から伺った話によると、「菊まつり」はお寺の行事なので行政は協力しにくいが、同じ日に「谷中まつり」としてパレードをすることはできる、といったソフトな協力体制が成り立っているのだそうです。

谷中・根津・千駄木がくっつくと生まれるストーリーがあります。根津の近くには森鴎外が「舞姫」を書いた建物が残っており、そこから千駄木に行くと森鴎外の住居で明治の文壇の社交場だった「観潮楼」の跡地が「鴎外記念館」として残されています。さらに歩くと、森鴎外も居を構えたことがある場所が同じ家で夏目漱石が「吾輩は猫である」を書いたということで「猫の家」跡として知られています。「三四郎」の菊人形のエピソードの舞台「団子坂」もすぐ近くです。谷中と根津の境界に「へび道」という細い曲がりくねった道があるのですが、この道はむかし「藍染川」という川になっていて、小説の中ではこの川のほとりを三四郎と美禰子が歩いているのです。文豪たちのエピソードを読み解いていく楽しみがあります。広い東京の、ほんの一角なのに、いろいろな景色を見せてくれて、いろいろな歴史が込められている、それが「谷根千」という場所なのです。

若い人たちにどう伝えるか

歴史の深い地域に若い人が入ってきます。その人たちにどのように情報を伝えるべきでしょうか?

「アプローチ谷中プロジェクト」が2004年に行った「谷中標本」というイベントでは、蘊蓄をストレートに発信するのはやめよう、と考えました。ダンサーや劇作家の方と協力して「まち歩きをゲーム感覚で楽しみましょう」という企画を立てました。その中でこっそり2次元バーコードやICタグなどの技術を使いました。この企画の狙いは、外から来た方が「知らなかった街を知るきっかけ」を作ることでした。

その後、若い人は谷中にどんどん来るようになりました。下町特集が雑誌で取り上げられるようになり、「和カフェ」や「着物で街歩き」といった視点で谷中は注目を浴びるようになりました。そうなると今度は、この街で住んでいる若い人たちの間で、もっと情報を共有するための手段を考えたい、と思いました。同世代の人が日常的に情報共有をできるようにしたい、ということです。

2006年に行った「ラジオ・アジマール」は、インターネットラジオ(ポッドキャスト)のイベントでした。私がふだんお世話になっているカフェやバーなどのお店、ギャラリーの方々、顔なじみのお客さん、この街で何か面白いことをしている人、などなど、いろんな方々に、直接マイクを向けて喋ってもらい、本人の声でそのまま語ってもらう、という番組を放送しました。昔ながらの街の良さを、新しい技術で、多くの人にもっと広げて行きたい、という試みです。

場所の力・人の力

「場所の力」はとても大事なものだと思っています。谷中は「場所の力」に惹かれて新しい人がやってくる街です。元々は例えば古民家であったり居酒屋であったりしたけれど、そのままの用途では成り立たなくなった、そんな場所がたくさんできています。しかし、若い人たちが、そのスペースが持つ「場所の力」に惹かれて、「ここで洋服を売りたい」「ここで古本カフェを開きたい」といった思い思いの気持ちを持って集まってきます。現在、まちづくりに取り組む多くの地域で、そういった方々が新しい空間作りを手がけておられるのだと思います。

谷中について振り返ると、この4~5年くらいに、この場所の力に惹かれてやってきた先駆者が、新しい谷中の歴史を切り開いてきました。オーガニックの料理を作りながらアートの場所を提供している谷中カフェ、足踏みのミシンでユニークな洋服を作り続けている青空洋品店、美味しい本場のハンバーガーを出してくれるレインボーキッチン、独自の感覚で美味しい料理やお茶を出してくれるアジマルカフェなど、みんな若い女性の方がやってこられたお店です。そんな先駆者の人たちが、それぞれのストーリーを作り出してきました。やがてそれが谷中の内外で広く知られるようになり、そのストーリーに惹かれて新しい人たちが谷中を訪れるのです。魅力的な場所に魅力的な人がやってきて、その人の魅力でまた別の人がやってくるのです。それが谷中の力なのだと思います。

そんな若い世代がいつの間にか店主同士の交流をはじめて、お店の人たちもお客さんたちもみんな仲良くなりました。自然にお店同士が協力したり、お客とお店が協力してイベントを企画するようになりました。2006年の春に画家の「はとちゃん」が企画するスタンプラリーが谷中の街で行われました。何軒かのお店でははとちゃんの絵が展示され、他のお店でははとちゃんの選んだ雑貨の販売が行われ、またあるお店ではライブペイントなどのパフォーマンスが行われました。そうやって10軒以上のお店が、はとちゃんの個人のイベントで繋がったのです。私は、自分がやってきたイベントと比べて、なんてすごいことが行われているのだろう、1人のアーティストがこんなに見事に街をつないでしまえるなんて、と驚いてしまいました。

街の力を引き出す力をアーティストは、持っているのです。そんなアーティスト達が「顔の見える距離」で繋がっているのです。「まちづくり」は最後は「人の力」です。人が人を呼び、人が街を育てるのです。

メディアの果たす役割

これからの地域の街づくりにおいて、メディアはどんな役割を果たしていくのでしょうか?お店をやっている人が生み出しているのは、そこで売られている商品だけではなくて、そこでは情報が生み出されていると思います。お店を手段として情報を発信しているのです。

料理を作りながら、こんな料理を食べて欲しい、という情報を発信しています。雑貨を作ったり売ったりしている人も、その商品を通じて、いろいろな「思い」を伝えていると思うのです。谷中にはインターネットのブログなどを使って、新しいメニューやイベントの情報など、情報を発信しながらお店をされている方がたくさんいます。商店街のアナログな雰囲気を、今の情報技術でよみがえらせる、ということが可能になってきました。

今はインターネットで他人の手を借りずに、自分で情報を発信できます。本当に伝えたいことをそのまま伝えられるようになったのです。
昔ながらのいいところを、現代の技を取り入れながら生かしていく、そんな「まちづくり」が、谷中だけでなく、いろいろな地域で可能になってきたのではないでしょうか。