オープンソースの Windows 用スクリーンリーダー NVDA とその日本語版の普及を通じて視覚障害者の福祉向上を目指す非営利活動グループ NVDAユーザ会広島 は nvda.jp ドメインを取得し、2011年12月11日より i.nvda.jp というアドレスで NVDA日本語版 をダウンロードできるサービスを開始しました。これにより、日本のスクリーンリーダーの利用者は、より簡単にNVDAを入手できるようになります。
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こぎん刺しと宮島
11月3日にNHK Eテレ「すてきにハンドメイド」で「津軽こぎん刺しのバッグ」が取り上げられた。
和の伝統を楽しむ、という3回シリーズの第1弾として登場し、テレビテキスト11月号の表紙を飾った。番組の中で製作されたバッグは、こぎん刺しを知っている人から見ればオーソドックスな色とデザインだったが、「東北の手仕事」として歴史や背景も掘り下げて紹介された。藍染めの麻布に白い糸で刺された菱形の幾何学模様が、綿花の栽培が困難で華美を禁じられた江戸時代の苦肉の選択であったことが説明された。そして、厳しい寒さと貧しさの中で、美しい模様を生み出した津軽の女性の心の豊かさを感じて欲しい、と番組は語っていた。
100年以上前のボロボロの労働着にほどこされた幾何学模様の「刺し子」はテキストにも大きな写真で紹介されている。
東北新幹線の新青森駅開業といったイベントに合わせて、東京エリアでも青森の文化が紹介されるようになったが、それでも全国レベルでのこぎん刺しの知名度は低い。
柳宗悦が民藝運動として評価したことによって価値が見直されたこぎん刺しは、今年春の日本民藝館(目黒区駒場)の「開館75周年記念名品展」で1点だけ展示されたとのことだ。
一方で、青森で生まれ育った人にとって、こぎん刺しは「あまりにも身近にありすぎた民芸品」だ。学校の授業やクラブで作ったことがある、という人も多い。「根気のいる作業」であることも知られているので「こぎん刺しをやっている」といえば一目置かれるのだという。
しかし、およそ若者が興味を持たない色や柄だったこぎん刺しを、変えようとする動きも、目新しいものではない。
色鮮やかな刺繍糸を使うカラフルな作品という試みは、世界から注目された。ここ数年、トートバッグや洋裁で活躍しているグループによって「こぎん刺し」は再発見され始めている。伝統的なこぎん刺しの技法を生かしつつ、バランス、センス、配色など、現代の生活に合わせた作風が登場した。そして「大人になってこぎん刺しの模様の良さを再認識した」という人も増えた。
こぎん刺しは決して難しいものではない。手芸に興味を持つ人が増えたこともあり、手芸用品メーカーや通信販売会社のキットで「こぎん刺し」は身近になっている。規則正しく1列ずつ針を動かしていくと、次第に大きな模様が出来上がっていく、そんな面白さがある。
だが、続けていくのは難しい。キットを買ってはみたものの完成できない人も多いようだ。
続けていくうちに「型」が身につく。その「型」が「オリジナル」を生み出す土台になるのだという。
2010年10月に kikurako.com での活動を始めたこぎん刺し作家 kikurako は「作りたいものを作る。いま作品展に向けて作っているのは、ふだん使えそうなバッグや小物雑貨。年齢や性別は意識していない。欲しい、使いたいと思う人の手に渡れば嬉しい」と言いつつ、制作作業の最後の追い込みを続けている。
kikurako 作品展は今月24日から27日までの4日間。入場は無料。作品は展示販売される。
場所は世界遺産の厳島(宮島)。この夏に宮島水族館がリニューアルされ、来年のNHK大河ドラマ「平清盛」の舞台として注目されている。だが、修学旅行や観光旅行で何度も宮島を訪れた方でも、賑やかな土産物屋の並ぶ表参道商店街から一本奥に入った「町家通り」に足を運んだことのない方は多いのではなかろうか?
「ぎゃらりぃ宮郷」があり、先日は「第一回宮島ブックトレイル」が開催されるなど、古民家を活用した個性的な町おこしに積極的なエリアだ。
会場の北之町 厳妹屋さんは、明治後期頃に建てられ、数年前までは華道と茶道の先生が生活しておられたという宮島の伝統的な町家。
会期中は紅葉の一番の見頃と予想される。ぜひ足をお運びいただきたい。
期間:2011年11月24日(木)〜27日(日)
11:30〜17:00(初日12:00より)
会場:宮島 北之町 厳妹屋(いつもや)
〒739-0588 広島県廿日市市宮島町580
宮島桟橋から徒歩2分(町家通り)
(広島駅から宮島口駅までJRで約30分、宮島口から宮島までフェリーで約5分)
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オノ・ヨーコ展と比治山・段原
広島市現代美術館で「第8回ヒロシマ賞受賞記念 オノ・ヨーコ展 希望の路 YOKO ONO 2011」を見た。
ヒロシマ賞の説明はこちら。
広島市現代美術館は広島の中心から外れた比治山という小さな山の上にある。
私の母方の祖父は公務員で、疎開させた公文書と共にこの比治山で被爆したと聞いた。私はその祖父のことは伝聞でしか知らないのだが、一度だけ、母の代理で、8月5日に開催される市役所の戦没者慰霊式に出席したことがある。
私の幼い頃住んだ家は、この比治山の影になって原爆の被害を逃れた段原という町にあった。細い迷路のような路地は、子供用の自転車で走りまわる格好の遊び場だった。広島駅と宇品港を結ぶ国鉄の貨物列車が走っていて、深夜や早朝、かすかに汽車の音が聞こえたことを覚えている。
私が広島を離れていた20年の間に、この比治山から見下ろすことができた古い町並みは、区画整理されて、大きな道路が東西南北を貫いた。早々と完成した新しい街には高層マンションが立ち並んだ。そして広島カープの試合がある夜には、猿猴川を挟んですぐ近くにあるマツダスタジアムの照明が、段原の空を照らしている。
いまも残された工区の再開発が進んでいる。先日通りかかったら、新築一戸建ての売家の看板、そして売地の看板が並んでいた。カッパ祭りとかレンコン祭りとか、聞いたことのないイベントの看板があった。
「公立では全国初の現代美術を専門に扱う美術館」の歩みは、かつて骨董品の街と言われた場所の「歴史の喪失」と、二人三脚であったに違いない。それを目撃できなかったことが、今となっては残念に思える。
オノ・ヨーコ展は美術展としては珍しく、一定の条件で撮影が許可され、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスで使用許諾されている(関連記事)。なので私も下記に写真を掲載します。
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