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  • 福祉情報工学関連リンク集

    福祉情報工学研究会の研究専門委員の方々に、参加している学会・研究会・会議を挙げていただき、リンク集を作成しました。学会の開催予定なども分かる範囲で記載しました。下記で公開しておりますので御活用いただければ幸いです。

  • 続・松江の奇跡

    多忙な数週間をやっと乗り切って、日記を書けるようになりました。。

    前回の日記は、松江のホテルの部屋で夜中に眠れなくて書き殴って掲載しました。

    最近は「である体」でミクシィ日記にいったん掲載して、数日おいて「ですます体」に書き直してはてな日記に再掲載、というパターンが多かったのですが、なんだかあのときは「ラジオ深夜便」にやられてしまいました。。

    松江で開催した第40回福祉情報工学研究会は無事に終了。両日ともに60人を超える参加者に足を運んでいただきました。磁気ループをお使いになる方からのリクエストにも無事に対応できました。

    バリアフリー見学ツアーで伺ったお話を改めてまとめてみます:

    • ワコムアイティの今岡さん:15年前に地元にUターンして「くにびきネット」というパソコン通信で三輪さんと出会う。パソコンがバリアフリーの手段であることを強く認識。「プロジェクト23」という活動に参加。やがて著作権法の改正を見据えて「ピロートーク」の開発に着手。これは「音訳図書をネット配信する」ためのツールである。DAISYなど音訳図書の技術は普及しているが、「今日の新聞を聞きたい」というニーズを満たすサービスはまだない。現在は松江ライトハウスのサービスに合わせて開発され、週刊誌の読み上げなどで利用されている。ボイスレコーダーで簡単に聞くことができる。島根大学の縄手先生がツール開発に協力。読み手は「自分の得意なジャンル」を登録して参加できる。自宅で簡単に朗読を録音する、というカジュアルなボランティアのきっかけになれば。
    • 三輪さん:視覚障害者の立場からUD研究会として活動。松江市のバリアフリーマップはSPコードに対応し、点字ブロックなども調査されている。「てくてくラジオ」は自分がウィンドウショッピングをしたいというニーズから開発。
    • ハートフルウィングさん(映画の副音声専門の会社)の活動紹介(映像のみ)
    • ネットワーク応用通信研究所(NaCl)の井上社長:三輪さんのメーリングリスト仲間を中心に、linux.or.jp のサーバ管理会社として設立。MS-DOS環境と音声合成装置でパソコン通信をしていた視覚障害者がWindows普及で困難に直面していることを三輪さんから学び、Linux対応スクリーンリーダーを開発。その経験からクライアントソフトを必要としないウェブ音声化システムを提案し、オープンソース技術(Ruby + GalateaTalk)の島根県ウェブサイトCMSにつながった。
    • 一文字家の景山さん:旅館から仕出し弁当屋として発展。「社会を明るくする運動」と弁当箱に書くだけでなく何か実践をしたいと思っていたところに三輪さんと出会い、弁当箱をユニバーサルデザインにすることに取り組む。片手で開くことができる、点字の説明がついている、箸袋を探しやすく取り出しやすい、など。現場で組み立ての手間が増えるが「この仕事は質の高い仕事だから誇りを持って欲しい」と説得。コストは上がったが弁当の売り上げはアップしている。
  • 松江の奇跡

    夕方、一文字屋さんの「ユニバーサルデザイン弁当」をいただいたのだが、これで終わりにするわけにも行かず、外出。

    松江駅前の居酒屋に一人でふらりと入り、カウンター越しに御主人の話を伺いながら、地酒と魚料理をいただいた。

    甘エビ、白魚、しじみ汁。

    どの酒もここからすぐの場所で作っているんですよ、とおかみさんが教えてくれた。

    久しぶりにラジオをつけっぱなしで寝てしまったら、深夜便の「荒木とよひさ特集」で目が覚めてしまった。

    「悲しみ本線日本海」「もしも明日が」「四季の歌」。。。

    同じ中国地方で70年代と80年代を過ごした自分に、昭和の記憶と、平成の時代の移り変わりを、一度に思い起こさせる、そんな出張になってしまった。

    WIT研究会で実施したバリアフリー見学ツアー

    ずいぶんたくさんの方にお会いできて、たくさんのお話を伺えるんだなあと、楽しみにやってきたのだが、実はすべてが「たった一人の視覚障害者の情熱」に感化されて始まった事件だったのだ。

    NPO法人「プロジェクトゆうあい」の理事長、三輪利春さん。

    全盲の視覚障害者である三輪さんと、パソコン通信の地域コミュニティを通じて、視覚障害者であると知らずに出会った人たちが、ネットを通じてアイディアをふくらませて、そして「三輪さんのために何かを作りたい」という気持ちで、いくつものベンチャー企業が生まれ、老舗の企業に新しいチャレンジをさせた。

    この動きがなかったら、「日本 Linux 協会」も「プログラミング言語Ruby」も世の中に存在しなかったのだから。。

    むかし私は恥ずかしながら「オープンソースとアクセシビリティ」というテーマで人前で講演をしたことがあるのだが、実はそれを実践しておられたのが「ネットワーク応用通信技術研究所」だったなんて。

    バリアフリー見学ツアーは参加者10名程度と少人数だったが、単なる見学会にとどまらず、開発のねらいや背景も詳しく伺うことができた。「もっとこうしたらよくなるのではないか」などディスカッションがふくらむと同時に、「私たちも使ってみたい」といった展開につながりそうな会話で盛り上がった。

    AMラジオを使った音声情報サービス「てくてくラジオ」は、会場の目の前のバス乗り場で体験させていただいた。その場にたまたま白杖をお持ちの方がいらっしゃって、その方はどうやらこのサービスを御存知ないようだったが。。

    京都にいたころに視覚障害者用のタイピング練習ソフトを開発し、それがこの分野に関わるきっかけだったが、そのときにも「一人の視覚障害者」がすべての原動力だった。東京に来てからも似たようなことを経験した。あれは普遍的な構図なんだなあ、と改めて思う。

    地域と人の出会いから、地域が変わり、世界を変えていく。

    一人の人間の可能性でさえこんなに無限大なのに。

    自分の努力の至らなさを恥ずかしく思うが、そういうことに気づいただけでも、松江に来てよかった。

    ■追記(2008-06-02) 写真を追加しました http://f.hatena.ne.jp/nishimotz/2008-01-matsue/