写真 青い空と雲と建物と木々の緑

nishimotzの日記

  • ワザオギ落語会

    第3回ワザオギ落語会に行ってきました。

    場所は国立演芸場。チケットは前売りで完売とのことで、観客にまで

    大入り袋が出ました。最初「なんだろう?」と思いました。

    DVD販売が予告されている落語会ということで、

    第1回のときは「DVDをご覧の皆様」と舞台の上で話しかける方が

    いらっしゃったりしましたが、今回はそういう演出ではなく、

    古典落語で、できるだけ動きや仕草が楽しめるものを、

    出演者はみんなお選びになったのだろう、という、そういう演目ばかりでした。

    そういえば新作落語の大御所ばかりだったにも関わらず、

    みなさん古典落語を個性たっぷりに演じておられました。

    3回目にして、今度こそDVDを買わなくてはと思いました。。

    くわしくはこちらを:

    http://www.wazaogi.jp/

  • 情報発信と情報保障の矛盾

    3月22日に、電子情報通信学会のイベント企画

    「放送メディアにおける福祉情報技術の現状と可能性」を行いました。

    当日はのべ40人くらいの方に御参加いただきました。

    聴覚障害をお持ちの方が3人いらっしゃいましたので、

    手話通訳およびPC要約筆記を行いました。

    まずは御参加いただいた皆様にお礼を申し上げます。

    最初に西本が趣旨を説明しました。

    まず、消費者が作るメディア(CGM)の影響を受けて、

    放送の世界に大きな変化が起きつつあることを踏まえて、

    さまざまな可能性について議論したい、という問題提起をしました。

    また、このイベントが「公開実験の場」であるという宣言をしました。

    つまり「放送のバリアフリーと学会講演のバリアフリー」を比較検討したい、

    ということです。

    このイベントを録音し、インターネットラジオ番組として公開したい、

    ということもご了承いただきました。

    各講演者の方は、事前に手話通訳者と打ち合わせをしていただいたうえに、

    発表の間も「ラジオをお聞きの方のために説明しますと・・」のように、

    スライドの図をなるべく音声だけで理解していただけるように、

    配慮していただきました。

    講演者のおひとりは「完全原稿」を作ってくださいました。

    事前に読み上げる内容を決めて、原稿をそのまま字幕として使いました。

    これらの試みの後で、パネリスト5人の方に参加していただき、

    総合討論を行いました。

    議論の詳細は、録音した音声ファイルとともに改めて公開したいと思います。

    今回のイベントを企画した立場として振り返ってみると、

    まずは「情報を発信する」「受け手に伝える」ということの、

    根源的な意味を考え直す機会になりました。

    情報保障に神経を使いすぎて、発表者が生き生きとした講演をできなく

    なってしまったのではないか、という意見もありました。

    「本来、情報にはバリアはない、射影しようとするからバリアが生じるのだ」

    という指摘は、「じゃあ情報保障というのは本来どうあるべきなのだろう」と

    考え直さざるを得ない、本質的な指摘だったと言えます。

    その上で、放送とはなんなのか、という問題提起に対しては、

    「雑多な情報を雑多なまま扱えるインターネットの魅力」と、

    「情報の受け手にリテラシーが足りない現状では、

    放送局は責任を持って信頼のできる情報を発信する義務がある」

    という両極の立場は、平行線を辿ったように思います。

    さらに根本的な問題として、

    「ニュアンスを含めて豊かに情報を伝えるコミュニケーションのあり方」

    「さまざまな文化や言語で理解されやすい文章の組み立て方」

    などを、今回の「公開実験」はあらためて提起したと感じました。

  • 谷中と「まちづくり」

    愛知県瀬戸市のコミュニティFM放送局 RADIO SANQ の「まちづくりMYフレンド」というコーナーで、東京・谷中が取り上げられることになり、「谷中でまちづくりに取り組む人」ということで、ゲストに呼んでいただきました。
    まず、コーディネーターの名古屋学院大学の古池嘉和先生に案内していただいて、名鉄瀬戸駅の近くの商店街で、若い人たちが思い思いに新しいお店を開き始めた、そんな現状を見せていただきました。そして、古池先生とパーソナリティの鈴木しほさんに、上手に質問をしていただきながら1時間近く喋りました。
    同時録音を書き起こして、お二人の質問やコメントも含めて1人称の記述に改めてみました。放送のあとでスタッフの方に「それぞれの場面でいろいろ考えて、その都度ごとに『答え』を出しながらやってきた、そんなことが分かる話だった」と言われました。自分の出してきた『答え』は谷中に始まったことではなく、1999年から数年の京都・吉田山『茂庵』での経験が、いまに繋がっているのだ、と改めて感じています。
    追記(2009年12月19日):アプローチ谷中プロジェクトの活動記録はこちらをどうぞ
    (さらに…)