写真 青い空と雲と建物と木々の緑

nishimotzの日記

  • 静原・大原・元田中

    すこし前のことになってしまったが、先月のシルバーウィークの旅行について書きたい。

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    京都市静原のCafe Milletに行って、大いに元気をいただいてきた。隅岡樹里さんの「自然にはすべてが備わっている」と言う言葉が心に残った。予約していただいたランチはとても美味しくて、天気もよく、景色も美しく、素晴らしい場所だった。

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    ご主人の隅岡敦史さんは、京都でSCCJというNPOに関わっておられる。私はタイピング練習ソフト「ウチコミくん」の開発にはじまり、視覚障害者支援や音声インタフェースの技術開発で、SCCJさんにいろいろお世話になった。今は「アグリライフ」という活動も積極的になさっている。

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    たまたまNHK-BS「猫のしっぽ カエルの手」という番組でベニシアさんの友人として紹介されているご夫婦をお見かけして、思い切って静原にやってきた。ブログで報告されているが、樹里さんは足を怪我されており、不自由な中おもてなししていただいて恐縮だった。

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    アクセスは(車で行けば何でもない場所なのだろうが)出町柳から(数少ない)34番「静原・城山行」の京都バスに乗る。バスの中から静原学校の運動会の様子が見えた。全校生徒15人とのこと。終点の「城山」で降りて、さらに徒歩。テレビに出てきた、パンを焼く石窯が目印だ。Cafe Milletさんは完全予約制なので、ご注意を。

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    お話すると、かつて松ヶ崎にあった「はるや」さんのお知り合いで、吉田山の「茂庵アートマーケット」にも参加しておられた、とのこと。私は一時期「アートマーケット」の運営をお手伝いしていたので、そこで樹里さんと顔を合わせていたかも知れない。どこでどんな縁があるか、わからないものだ。。

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    その日は自然歩道を歩いて、大原に降りた。一時間くらいの、ちょっと軽装では歩きづらい山道だった。人里に降りると初秋というより残暑の日差し。稲刈りの終わった田や畑が広がり、ヒガンバナが道ばたに咲き乱れていた。「里の駅」には地元の農家さんたちの野菜が、作った人の写真つきで並べられていた。

    翌日はまず建礼門院ゆかりの寂光院。庭の手入れをされていた男性が、数年前の火災の影響について語っておられた。しかし復興された本堂と庭園は、それでも十分落ち着く場所だった。

    三千院に近づくにつれて車と人の混雑が激しくなる。国宝の仏像も人垣の後ろから拝むしかなかった。午後は観光地とは違ったのんびりした大原を散策。

    夜は出町柳に戻り、かつてよく通った「老安記」と「ぐるぐるかふぇ」に久しぶりに立ち寄った。

    同じ左京区とは思えない3つのエリアの対比を楽しむことができた。慌ただしくも意義深い旅だった。

    実はこの旅行中に携帯電話を落とした。出町柳でバスに乗った直後に紛失に気づき、バスを降りて、最後に立ち寄った草木染めの「大原工房」さんに電話したら、そこに置き忘れていたことが確認できて、送っていただいた。御親切にしていただいたことを感謝します。

  • 学会予稿PDFのアクセシビリティ

    福祉情報工学研究会(WIT)が公開している論文作成・発表アクセシビリティガイドラインには「論文作成アクセシビリティガイドライン」が含まれていますが、PDFに関する情報が含まれていません。研究会では墨字の予稿集を発行しており、視覚に障害をお持ちの方から御要望をいただいた場合にはテキスト版やPDFデータをご提供しています。

    多くの学会で研究会の予稿を電子版のみにすることが一般的になりつつあります。国際会議でもCD-ROMやUSBメモリでProceedingsを受け取ることが多くなりました。

    事実上の標準となっているPDFですが、原稿執筆者のためのアクセシビリティに関する情報をまとめてみると

    Microsoft Word 以外の手段で論文を作成する人向けのガイドラインが見あたりません。

    Microsoft Word で「タグ付きPDF」を作る場合には、作業は「視覚的構造ではなく論理的構造を考慮したWord文書を作る」ところにかかっています。

    Linux 環境で platex と dvipdfmx によって作成された日本語のPDFデータは、Windows 環境の Adobe Reader 9 で開いた感じでは2段組などの構造を反映できていないようです。

    これまでWIT研究会では、視覚障害をお持ちの方のために「予稿のプレーンテキスト版」を著者の方に作っていただくことが一般的でした。最近は PDF の読み上げソフトウェアをお持ちである方が多いようですが、例えば2段組を正しく読み上げられない PDF データについては相当苦労されるのではないかと思います。

    現実的には

    • Microsoft Word で原稿をお作りになる場合は Adobe 社などのガイドラインに従っていただく
    • LaTeX で原稿をお作りになる場合は、TeX ソースを元に別途テキスト版を提供していただく

    ことになりそうです。こういった目的のために、例えば detex というツールは Linux では古くから使われています。

    しかし、これでいいのだろうか、と疑問に思います。そもそもLaTeX の方が「陽に構造を記述するマークアップ言語」のはずだから。

    もしこの問題に取り組んでおられるプロジェクトなどをご存じでしたら、ご一報いただければ嬉しいです。

    もうひとつ確認してみたいのは OpenOffice.org の PDF 出力機能です。現在 OpenOffice 用に論文原稿のテンプレートを提供する学会等は聞いたことがありません。しかし、OpenOffice には標準で PDF 出力機能が備わっているので、もし「タグ付きPDF」をきちんと生成できているのなら「アクセシブルな学会予稿作成手段」として推奨できる、という日が来るかも知れません。

    あるいは、こうした場面でも「マルチメディアDAISY」が役立つ日が来るのかも知れません。

    • 追記(2009-10-04) : detex は Ubuntu Linux 9.04 の場合は texlive-extra-utils に入っています。
  • つぶやきの捕まえ方

    今年3月に電子情報通信学会の総合大会とHCGシンポジウムに参加していたとき、Twitterでイベントの中継を試してみて「Twitterの欠点は『落ちる』こと」だと思った。半年が過ぎて、これだけ普及しても、まだその不安は払拭されていない。

    Twitterの利点の一つは「国際化されていること」だ。同じシステムの中で母国語と外国語の発言が混在すると、短波ラジオやアマチュア無線のような感覚がある。最近ちょくちょくログインするようになったFacebookもそうだが。

    そして発言したことが「ちゃんとWeb検索エンジンに引っかかること」がよい。自分のブログやWebサイトを更新したときに、TwitterでそのURLをお知らせすることが、ちゃんとSEOに貢献している(ような気がするが、そのうち何らかのSEO対策が講じられるかも知れない)。

    一方で、いろんな人をフォローしてみて、情報発信の仕方もさまざま、捕まえ方もさまざまだと感じる。

    勝間さんと広瀬さんをフォローしたら、このお二人が会話しているところにいろんな人が出入りする、その様子を立ち聞きしている感じになる。高校生のころやっていたアマチュア無線で「電波の人気者たちの会話」にチューニングしている、あの感覚がある。

    津田さんをフォローすると、津田さんの参加する会合をリアルタイムで受信できる。自分がいまいる場所で、同時にもう一つのイベントに参加している、そんな不思議な感覚が得られる。

    SourceForge.jpは、誰かがソフトウェアをリリースすると、自動的にTwitterにメッセージが流れる仕掛けらしい。先日の連休に自分がgalateaからリリースを出してみて、その情報が瞬時に流れてきて、そのことが確認できた。

    企業のアカウントも使い方はさまざま。毎日新聞は担当ごとにアカウントを使い分けているらしい。カブドットコムは一つのアカウントで複数の担当者が署名入り発言。

    佐々木俊尚さんのように「つぶやき」にソーシャルブックマークの役割を見いだしている方もおられる。その一方で、もっとも古典的な使い方である「ナントカなう」発言に徹している人たちもいる。

    情報発信としては中途半端なコンテンツをあえて許容するために、140文字という縛りがある、と思われる。明確な目的を持った使い方にとっては、その縛りはやはり中途半端だ。だがその縛りは「受信者への配慮」だと考えなくてはならない。受信者は情報の洪水に遭遇すると入力を遮断してしまうのだ。

    複数人での情報発信のためには、アカウントを共有するか、ハッシュタグなどの検索を活用するか、なにか工夫が必要になる。一対一のやりとりについても、いまだに私はダイレクトメッセージや @ つきの発言に戸惑ってしまう(2つのアカウントを同時に使って一通り実験すれば腑に落ちるのだろうが)。

    いろいろな面においてシステムの未熟さ(将来のさらなる発展の可能性)を感じる。しかしながら、未熟さを逆手にとって、熱い盛り上がりを演出する、そういうサービスの育て方もあるのだ、と気づかせてくれる。かつてはグリーやミクシィもそんな場所だった、かも知れない。

    私はしばらくTwitterは「個人がニュースをリリースする手段」あるいは「RSSを配信することの代替」として使いたい。ときどき「イベントを実況中継する放送ツール」として使うつもりだ。私が日頃関わっている活動に関連して、障害を持つ方が学会に参加するための支援や情報保障に、何か役立たないだろうか、と常々考えている。ちなみに @nannohi によれば10月1日は「福祉用具の日」「補助犬の日」「国際高齢者の日」だそうだ。

    PCから普通に twitter.com を使い、携帯電話からモバツイを使っているが、フォローする相手が3桁・4桁になったら、標準的な使い方では破綻するだろう。受信の仕方もいろいろ工夫してみたいのだが、すでにさまざまな閲覧ツールがリリースされているらしく、いろいろ試すのは楽しいような面倒くさいような。。

    最近「質の高いフォロワーを増やす」というテーマの記事が(どなたかのつぶやきのおかげで)目に入った。私はフォローされるとたいていフォローし返しているので「フォロー数よりフォロワー数が多い」人にはなかなかなれそうにない。

    私の考えでは Twitter は「放送的なメディア」なので、たぶんポッドキャストやラジオ番組と同じだと思う。つまり「大事な情報源に絞り込む」ことよりも「不快な情報源を遮断する」ことになりそうだ。「この人をフォローし続けると大事な情報が得られなくなる」と思った人をフォローから外すことになるだろう。ヘビーローテーションしたいアルバムや放送局は「耳障りなトークや音楽が出てきにくい」という理由で選ばれるのだと思う。

    逆に言うと「自分がノイズ発生源にならない」ことを心がけるべきだ。自分がどんなフォロワーを持っているのかを意識したうえで「自分のフォロワーにとって目障りな情報を自粛する」ということが、気持ちよく情報を共有するコツではなかろうか。

    「棒読みちゃん」というソフトを見つけた。前からやってみたかった「音声合成で友達のつぶやきを聞き流す」ということが実現できる。まさに「ソーシャルネットワーク型ラジオ番組」だ。いろいろ課題があるとは思ったが、ちょっと未来を垣間見ることができて嬉しかった。

    • 追記(2009-10-05) : sourceforgejp のリリース告知機能なのですが「パッケージ」「リリース」「ファイル」のすべてを「秘密」というステータスにしていても、ファイルをアップロードしたときに tweet が流れるようです。ちょっとどうかと思いますが。。