ボランティア活動と創造性

5月31日から6月2日まで岩手県山田町に滞在し、それ以来、山田町の外からやってきて長期滞在しているボランティアの「情報発信の支援」を続けています。
Ustream による夜8時から9時までの放送「光の茶会」は毎日続いています。
私 @24motz が中継できる日もできない日もありますが、まとめは Togetter をどうぞ。
この時間に放送に参加しにくい方は公開メーリングリストもご利用ください。
追記 (2011-12-15) 山田町のボランティアセンターは11月30日に閉鎖され、県外からのボランティア受け入れは終了したとのことです。私から提供した通信機器による活動は終了しています。

以下、2週間の放送を振り返って、私が感じていることをお伝えします。

「移動茶室」の主である為公史さんから私がうけた相談は「町を復興するプランがあるのだが、誰にどう伝えたらいいのかわからない」というお話でした。
行ってみたら「ヨソモノ・ボランティアが作ったプランを町の人に聞いてもらっている段階」ということでした。
国の出先機関(国立大学)で15年勤務したとはいえ、私は行政や政治やNPOの専門家でもなく、自然エネルギーや土木建築や自然環境の専門家でもありません。
しかし「何かしてもらえそう」という為さんの期待に応えたかった私は、自分にできそうなこととして「コミュニケーションを支援したい」と思い、手持ちの機材で Ustream と Twitter を使ったリアルタイム配信を2回行いました。
幸い、為さん自身が「自分で放送をしたい」とおっしゃったこと、そのための機材や環境がなんとか整えられたこと、何人かの視聴者さんが「常連メンバー」になってくださったこと、こうしたことに支えられて、毎日10人〜20人くらいの視聴者で、番組は続いています。少しずつ進展している、という言葉を信じて、あせらずに見守っています。
最初の一週間は某施設の無線LAN電波をお借りしました。しかし、帯域が細すぎるためか、音質が安定しませんでした。
私が広島から3G回線のモバイルルーターをお送りして、現在は(音声に限れば)安定して配信できています。
ロウソクの炎を映像の中心に据えているのは、実際に配信をしている「移動茶室」の狭さや暗さといった制約、高品質の映像を送れるほど十分な帯域がなかったことから、仕方なくやったことでした。これが「キャンドルキャスト」あるいは「光の茶会」として普遍的な魅力になっているという指摘は、視聴者の側から見出されたことであり、「ロウソクの差し入れ」も届くようになりました。

私は5月末からの3日間、山田町災害ボランティアセンターにボランティア登録をしたのですが、実際にはセンターに仕事に行かないで、この配信のための作業だけをしていました。要するに「ボランティアをサボっていたボランティア」です。
しかし、私がやった「インターネット放送を立ち上げる」ということは、私が考えたひとつの「創造的なボランティア活動」です。
ボランティアセンターのユニフォームを脱いで、ボランティアを休んでやる「もうひとつのボランティア」は、山田町で一部のボランティアの方が、避難所や仮設住宅の実情を調べながら、行政やボランティアセンターにはできない細やかな生活支援の配慮として、苦労しながら続けている活動なのです。
(具体的な内容はぜひ「光の茶会」の放送でお聴きください)
一般に、ボランティア活動とNPO活動が同じ文脈で語られることが多いのは、どちらも「行政にも営利事業にも見落とされがちな活動の発見や開拓」があるからで、いわば「クリエイティブな活動」です。本来は「ベンチャー・起業」と近い文脈で語ることすら可能な言葉です。まあ最近やっと「社会的起業」あるいは「新しい公共」という言葉だけは定着しそうなのですが。。
私が立ち上げたインターネット放送にせよ、「光の茶会」で語られている避難所や仮設住宅の生活支援にせよ、その「ボランティア活動が本来備えるべき創造性」は、残念ながらボランティアセンターと呼ばれる場においても形骸化している場合があるらしいのです。
これまで自分の研究分野を通じて障害を持つ方の支援の場を見ていて、ボランティアという言葉にしばしば違和感を感じ続けてきました。これは「奉仕=サービス」であって「自発=ボランティア」ではないな、と思う動き方が多々ありました。
どうやら私が福祉の現場で漠然と感じていたことは、災害対策の現場でも当てはまっていたようです。

ちょっと話が脱線しますが、山田町復興プランに関する私の立場をここで明確にしておきます。
為さんたちが発信している「山田町の生活と産業を再建する計画」の中身には、私は立ち入らない方がよい、と思うようになりました。私はTwitterで番組に参加したり、放送の内容を中継したりしますが、これは「当事者の方に主体的に参加していただくこと」を促したいという思いからです。
私は「光の茶会」の提案や計画は「行動を急ぎすぎている」と感じています。
いままで「光の茶会」で出されてきた復興プランは「問題も明確だし解決方法も明確、だけどその解決方法は個人レベルでは着手不可能」というものであり、「だから力のある人を動かして、私たちの解決方法を実行に移さなくてはならない」という結論に至っていました。
しかし、疑い深い人が反論をするなら「その問題分析、解決方法の選択、具体的な段取りは、最善なのか? 個別に検証したり、代替案を検討してはいけないのか?」と問いたくなるでしょう。
2週間「光の茶会」を聴いてくださった人なら、この「疑い深い人」に対して、「そんなこと言っていたら漁師は漁業を諦めてしまう、急いで進める必要があるのに、どうして分かってもらえないのか?」と苛立ちながら反論することでしょう。
残念ながら、この議論は簡単には「咬み合わない」ように感じます。少なくとも民主主義的な手続きを経て意思決定をしようとするなら。。
やはり「問題の分析」「解決方法の候補を挙げる」「解決方法を比較検討する」「実行に必要な情報を集める」「具体的な実務の手順を決める」「手順を実行する」というプロセスの一つ一つを公開して、すべての利害関係者に納得してもらえるように、段階を踏むことが「正当なアプローチ」ではないでしょうか。
そういう観点で例えば「集団移転を決めた人々」(国の「防災集団移転促進事業」を活用した気仙沼市唐桑町舞根〔もうね〕地区の事例)を読み返すと、避難所で住民の方が自主的に話し合いを進めて合意形成に漕ぎ着けて、その「合意」を実現するために行政や「ヨソモノ」(研究者や専門家)が支援、という流れになっています。
「光の茶会」で伝えられる山田町の状況は、その合意形成ができていない、あるいは、どこかでなされつつある合意形成をやり直す必要がある、といったように思われます。専門家の方は「合意形成に必要な情報を提供する」という段階から、まず関わっていただく必要がありそうです。順番としては「専門家を招いて話をする必要がありそうだ」と町の方にまず気づいていただく必要があります。これは「ヨソモノ・ボランティアの押し付け」でスタートするべきではありません。

残念なのは、インターネットを使うことが「山田町の方を巻き込むこと」に結びつきにくいという現実です。
生の情報を集めたり、検討をしたり、情報を共有するために、そして何よりも「いろいろな立場から、いろいろな場所から、情報を発信するために」、インターネットが、避難所からも、自宅避難の場からも、仮設住宅からも、有効に活用されることを望んでいます。
光ファイバーでなくてもADSLでもWiMAXでもいいので。。
コンピューターによる情報発信が苦手な人たち(為さんもそのお一人です)にとって、実は「肉声による情報発信」こそ、もっとも手軽で有効な手段なのです。そして、そのメッセージは「リスニング・ボランティア」によってリアルタイムで書き起こされて Twitter で拡散されていく。。
被災地からどんどん「生の声」が発信されるようになるまでの間、「光の茶室」(移動茶室)という「コミュニティ支援ツール」に、被災地とインターネットをつないでもらう必要がありそうです。

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